唐澤貴洋Wiki
基本資料 | |
名前 | 唐澤貴洋Wiki |
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URL | http://krsw.matome.top/ |
サーバー | 唐澤貴洋Wikiモルドバ鯖 |
管理者 | T-カルサヴァ(旧Wiki)、Pacal2 |
系統 | Wiki路線 |
特色 | MediaWiki |
唐澤貴洋Wiki(からさわたかひろうぃき)とは、日本の弁護士、唐澤貴洋とその依頼人の長谷川亮太らが引き起こした一連の騒動(通称:ハセカラ騒動)に直接的、間接的に関係ある者たちや団体、サイトなどについてまとめるサイトである[1]。
唐澤貴洋Wiki誕生以前のハセカラ騒動まとめサイト
2012年になんJwikiで長谷川亮太の記事が作成される[2]も何者かによって「個人情報が過多に載せられたwiki、民間人が誹謗中傷されている」として運営会社に通報され初代なんJwikiが閉鎖されてしまったことによってなんJwikiでハセカラ騒動の話題はタブーとなってしまい、次に教徒はニコニコ大百科に目をつけるも規約にひっかかるため当たり障りの無い内容しか投稿することが出来なかった。個人サイトはkaijimanや唐澤貴洋文学館などが存在していたがいずれも恒心停止、また一人でこの騒動をまとめるにはあまりにも内容が膨大であった。
2013年にポケットモンスター X・Yのサジェスト汚染の一環として作成された「ポケットモンスターX・Y 唐澤貴洋 攻略@ ウィキ」がハセカラ騒動のまとめWikiとしての役割を果たしていたがネタ要素が強く、「恒心教は基本口伝」と言われていた時期が長かったため、長期間ハセカラ騒動についての本格的なウィキサイトは存在せず、これらのサイトや過去ログ、恒心綜合大学の資料集、カラケーの歴史スレ、3.7ドキュメントなどの断片的な情報を参考に自分で調べるしかなかった。
2014年2月27日に、実況用尊師語録の補完の目的で「pakapedia」というwikiサイトがatwiki上に設立された。その後いくつかのページが追加され、ハセカラの基本事項を体系的に押さえた初のwikiとなったが、3月9日に発生したatwikiカラッキング事件の煽りを受けて自主閉鎖した[3]。pakapediaには「カラケー名店紹介」という項目名で当時の主要なカラケーが一覧化されており、口伝が基本であった恒心教でかつ秘匿路線のとられていたカラケーの情報を体系的に公開したことは当時としては画期的であったと言える。pakapedia閉鎖の18日後にほぼコンセプトを同じくして設立されたのが当wikiであり、この「pakapedia」が実質的な当wikiの前身のような存在である。
誕生
唐澤貴洋Wikiは、恒心教のウィキサイトとして、鯉色マッリ(現:T-カルサヴァ)氏(以下、初代管理人)によって2014年3月27日に創設された。最初のレンタルサーバーはShoutWikiであり、http://krsw.shoutwiki.comというURLであった。 初代管理人は、唐澤貴洋Wikiの創設の理由として、臭芋の増加を挙げ、そのような臭芋・唐素に情報を与えて恒心教徒へと改宗させるためとしている。
初代管理人の不在・暫定管理者・大規模整理
しかし、初代管理人は不在気味だった。そのため2014年夏頃に発生した白紙化荒らしに対応しきれていなかった。そこで管理人が一時復帰した際に荒らされた記事を修正していた一部の利用者を暫定管理者に任命し、それを解消しようとした。
閉鎖騒動
第一次閉鎖騒動
10月にはカラケーにてwikiが閉鎖するという釣りがあったものの個人情報等が掲載されている当Wikiが閉鎖される兆候は長期間見えなかった。 しかし2015年6月、ShoutWiki運営より「ヤバゲな内容が掲載されているため、これまでこのWikiに広告が載せられなかった。今回2週間後にwikiを閉鎖することを決定した。」という文が掲載された[4]。0chiakiが鯖を提供する姿勢を見せたものの失踪[5]し混乱に陥るも、現管理者であるPacal2氏によってインド鯖が用意され、そこに移動となった。その後、寄付が集まり2015年8月12日にはモルドバ鯖に移転した。
第二次閉鎖騒動
ナリ速が唐澤貴洋wikiに6万円寄付したことをTwitter上で報告する[6]も虚言であったことがモルドバ師によって開示される。[7]呆れた師は脱恒を宣言し当wikiは(引継ぎ者が現れない限り)8月頃閉鎖する[8]
註釈