唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/惡俗圏

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2022年7月15日 (金) 18:57時点における>貴洋のホルマリン漬による版

惡俗圏(あくぞくけん)とは、2018年頃に中国で発祥したインターネットグループである。

概要

惡俗圏は、中国の大規模掲示板「百度貼吧」を拠点にしていたZ世代(1990年代後半以降生まれ)のオタク層を中心に構成されている。2018年頃より各種の手段で入手した党高官や一族の機密情報をインターネット上に暴露する行為(ドキシング)を通じて習近平の党体制に抵抗する為に発祥した。

恒心教はいかなる政治的立場にも立たないという点においては異なり、どれかと言えばアノニマスに近い組織と言えるだろうが、日本アニメのファンが多い関係から、往年の日本の『2ちゃんねる』系のアングラネット文化とも親和性が高く、真夏の夜の淫夢を含む例のアレ恒心教などの不謹慎文化の影響すら色濃く受けているようである。

恒心教との関係

恒心教において惡俗圏の話題が最初に出てきたのは2021年7月26日の以下のレスである。

【唐澤貴洋殺す】雑談★19【ブロック魔】【なんちゃって人権派弁護士】>>93(魚拓) - マヨケー
93 :一般カタルーニャ人:2021/07/26(月) 12:44:01.96 ID:CqfSA1f/0
例のあれの仲間扱いされていますが海外路線が成功しているようで何よりです
https://president.jp/articles/-/48116?page=2
>悪俗圏はいわば、中国版のアノニマスやウィキリークスとも呼ぶべき存在で、年齢的にはZ世代(1990年代後半以降生まれ)が中心。かつて胡錦濤時代(~2012年)まで比較的自由だった中国の大規模掲示板『百度貼吧』を拠点にしていたオタク層だ。
>日本アニメのファンが多い関係から、往年の日本の『2ちゃんねる』系のアングラネット文化とも親和性が高く、「淫夢」や「恒心教」などの不謹慎文化の影響すら色濃い(アメリカのアノニマスが、日本のふたばちゃんねるや2ちゃんねるの影響を受けたのと同様だ)。
「習近平のID番号でユーザー登録すると…」中国“最強監視社会”のショボい裏側 ダメ警官が指導者の個人情報を転売(魚拓) - 週刊文春
※一部抜粋
中国版アノニマス、爆誕
──ところが、ほぼ全国民の情報がデータ化されたことで、意外な問題点が生まれた。
それは、本来ならば最高レベルの国家機密に属するはずの、習近平をはじめとした党高官やその家族らの個人情報ですらも、データベースに組み込まれていることだ。
彼らとて現代の中国人である以上、便利な暮らしとトレードオフで存在するデジタル管理の網と無縁ではいられないのだ。
結果、これが体制の泣きどころになった。2018年ごろから、各種の手段で入手した党高官や一族の機密情報をインターネット上に暴露する行為(ドキシング)を通じて党体制に反抗する、「悪俗圏」と総称される若いネットユーザーのグループが現れるようになったのだ。
悪俗圏はいわば、中国版のアノニマスやウィキリークスとも呼ぶべき存在で、年齢的にはZ世代(1990年代後半以降生まれ)が中心。かつて胡錦濤時代(~2012年)まで比較的自由だった中国の大規模掲示板『百度貼吧』を拠点にしていたオタク層だ。
日本アニメのファンが多い関係から、往年の日本の『2ちゃんねる』系のアングラネット文化とも親和性が高く、「淫夢」や「恒心教」などの不謹慎文化の影響すら色濃い(アメリカのアノニマスが、日本のふたばちゃんねるや2ちゃんねるの影響を受けたのと同様だ)。
記事冒頭に登場した肖彦鋭は、悪俗圏の中心人物だった1人だ。かつては悪ふざけ情報とドキシング情報の集積サイトであるオンライン百科事典『悪俗ウィキ』(悪俗維基)や『シナウィキ』(支納維基)の管理人をつとめていた。

恒心教が例のアレに含まれるかに関しては諸説あるものの、結果として悪俗圏にも恒心教の文化が浸透しつつあることが明らかとなったことで海外布教路線に繋がっているとして肯定的な評価を得た。

惡俗維基

惡俗維基
基本資料
名前 惡俗維基
通称 悪俗wiki、Esuwiki
URL https://esudog.top/
設立日 不明
サーバー Shoutwiki
管理人 肖彦鋭(過去に管理人をつとめていた人物)
特色 例のアレや恒心教に関する記事が豊富

更に2022年7月15日になると再び惡俗圏が話題となった。惡俗圏が運営する惡俗維基藤原太一[1]唐澤貴洋wiki[2]唐澤貴洋掲示板[3]の記事があることが教徒により発見されたのである[4]。ノヒケーのレスはマヨケーにも転載され、ゲジ眉のグローバル化、中国語を学ぶいい機会[5]、中国の別界隈が恒心教を宣伝してくれるのはありがたい、たまに事実に合ってない記述もあるけどよく書けているなと思った[6]といった肯定的な意見が見られた。また、約1年前の週刊文春の記事を懐かしむ意見もあった[7]

脚注

関連項目