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平成4年に結婚し、1男1女をもうけた。野々市町役場に勤務。学校や地域団体等からの講演依頼を多く受けている。<ref>http://web.lions-takaoka.org/?p=1552</ref> | |||
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*母親の強い信念のもと、小学校は普通学級に通った。ただし、校舎の段差などの改修を行わないことが条件であったため、階段の上り下りは足を引きずりながら手だけで移動したため、ズボンのすそがいつもボロボロであった。 | |||
*母親は、世間からの好奇の目に慣れさせるために外出させ、入浴も自宅の風呂を使わず、あえて銭湯に通わせた。 | |||
*当時はこども用の車いすがなかったため、手にサンダルをはめて上半身の力のみで移動していたが、それが当然と思っていた。 | |||
== 車いすマラソン == | |||
*1981年 第3回大分国際車いすマラソン大会 女子総合優勝(ハーフ)<ref>http://www.kurumaisu-marathon.com/contents/record/001/003half.html</ref> | |||
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2017年12月17日 (日) 15:56時点における版
久木 直子(ひさき なおこ、1959年生まれ、富山県高岡市出身、石川県能美市在住)は、元車いす陸上競技選手。(旧姓:幸塚)
来歴・人物
1961年、2歳の時に急性灰白髄炎となり、両足の機能を失った。幼少時代から手にサンダルをはめて移動していたため、上半身は筋力が発達し、スポーツで頭角を現し、1976年佐賀県で開催された第12回全国身体障害者スポーツ大会の水泳と陸上競技に高校生の時に出場。翌1977年の第2回フェスピック・オーストラリア大会に日本代表選手として出場、陸上競技の100mと400mで金メダル、平泳ぎと卓球で銀メダル、計4つのメダルを獲得した。[1]
1983年には大分国際車いすマラソン大会にも出場し、ハーフマラソンの部で日本人女子初の優勝者として名を刻まれている。[2]また翌1984年には同大会のフルマラソンの部に出場し、日本人女性として初めて車いすで42.195kmを完走した。
平成4年に結婚し、1男1女をもうけた。野々市町役場に勤務。学校や地域団体等からの講演依頼を多く受けている。[3]
エピソード
- 母親の強い信念のもと、小学校は普通学級に通った。ただし、校舎の段差などの改修を行わないことが条件であったため、階段の上り下りは足を引きずりながら手だけで移動したため、ズボンのすそがいつもボロボロであった。
- 母親は、世間からの好奇の目に慣れさせるために外出させ、入浴も自宅の風呂を使わず、あえて銭湯に通わせた。
- 当時はこども用の車いすがなかったため、手にサンダルをはめて上半身の力のみで移動していたが、それが当然と思っていた。
車いすマラソン
- 1981年 第3回大分国際車いすマラソン大会 女子総合優勝(ハーフ)[4]
- 1984年 第4回大分国際車いすマラソン大会 フルマラソン女子3位。(日本初記録。日本人女性として初めて車いすでフルマラソンの距離を完走した。[5]
脚注
- ↑ http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/handicap/jsad/z16003/z1600316.html
- ↑ http://www.kurumaisu-marathon.com/contents/history/history006.html
- ↑ http://web.lions-takaoka.org/?p=1552
- ↑ http://www.kurumaisu-marathon.com/contents/record/001/003half.html
- ↑ http://www.kurumaisu-marathon.com/contents/record/001/004full.html