「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/村井秀夫」の版間の差分
>へっきへ金融 (→概要) |
>へっきへ金融 |
||
62行目: | 62行目: | ||
1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で{{wpl|徐裕行}}に[[唐澤貴洋ナイフでメッタ刺しにして殺す|ナイフでメッタ刺しにされ]]、翌日の4月24日に'''「ユダにやられた」'''と言い残し、出血多量により死亡、もとい[[殉教]]した。<br>この殺人事件は「{{wpl|村井秀夫刺殺事件}}」と言う名で、後世に語り継がれることになる。 | 1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で{{wpl|徐裕行}}に[[唐澤貴洋ナイフでメッタ刺しにして殺す|ナイフでメッタ刺しにされ]]、翌日の4月24日に'''「ユダにやられた」'''と言い残し、出血多量により死亡、もとい[[殉教]]した。<br>この殺人事件は「{{wpl|村井秀夫刺殺事件}}」と言う名で、後世に語り継がれることになる。 | ||
同事件を「教団による口封じ」とする説があるが<ref>オウム語録「'''[[ポア]]もやむなし'''」は、{{archive|https://web.archive.org/web/20011227223720/http://members.tripod.co.jp:80/postx/murai/news23murai.html|https://archive.vn/K4mao|その説が報道された時}}に生まれている。</ref>、警察の捜査や裁判においては「実行犯と教団に接点無し」と見なされ、同説は否定された。<br>実行犯自身も「犯行動機は個人的な義憤」<ref>[https://archive.ph/LAxt8 オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」] - AERAdot.</ref>「仮に口封じが目的なら、教団内部で"[[ポア]]"されていたはずだ」<ref>[https://archive.ph/ZrRHv オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」] - AERAdot.</ref>と語っている。 | |||
少なくとも教団側は彼のことを「[[殉教者]]」として扱い、彼に関する著書(以下の2冊)も出版している。 | 少なくとも教団側は彼のことを「[[殉教者]]」として扱い、彼に関する著書(以下の2冊)も出版している。 |
2022年3月21日 (月) 20:39時点における版
基本資料 | |
本名 | 村井秀夫 |
---|---|
別名・渾名 | マンジュシュリー・ミトラ、福山紘基の前世、ジョー君[1]、まんじゅう[2] |
生年月日・年齢 | 没年36歳、1958年12月5日生まれ |
命日 | 1995年4月24日 |
出生地 | 大阪府(wp)吹田市 |
身体情報 | 故人 |
才能 | 審議中 |
特定経緯 | オウム関連の報道・書籍[3] |
騒動との関連 | 風評被害[4]、オウム真理教の幹部 |
職業 | 正大師、科学技術省大臣 |
所属 | オウム真理教 |
出身高校 | 大阪府立千里高等学校 |
最終学歴 | 大阪大学大学院理学研究科 |
趣味 | 天文学、科学研究、兵器開発、尊師崇拝 |
好きなもの | オウム真理教、麻原彰晃、かもめのジョナサン、SF、超能力、精神世界、仙道、ヨガ |
嫌いなもの | ユダ |
関係者 | |
村井秀夫(むらい ひでお、Murai Hideo)(1958年12月5日~1995年4月24日)とは、オウム真理教の幹部である。
ホーリーネームは「マンジュシュリー・ミトラ」。教団での階級は正大師であり、省庁制においては科学技術省大臣を担当。
最期は"ユダ"にナイフでメッタ刺しにされ死亡、もとい殉教した。(村井秀夫刺殺事件)
経歴
1958年12月5日、大阪府吹田市に生まれる。
子供の頃は天体観測などを趣味としていたSF少年であった。テレビの影響で超能力や精神世界などにも興味があり、超人願望があったという。
高校ではただ1人無遅刻無欠席の優等生であり、大阪大学理学部物理学科に首席合格。同大学の大学院理学研究科修士課程を修了し、理学修士となった。
1987年に麻原彰晃の著書を読んだことをきっかけにオウム神仙の会(オウム真理教の前身団体)へ入信、出家後はオウムの科学者の代表格として活躍した。
1989年11月4日の坂本弁護士一家殺害事件では坂本弁護士の妻を殺害、1990年以降のオウムのヴァジラヤーナ路線ではサリン製造を初めとする兵器開発を行う等、オウム関連の犯罪に深く関わっている。
1994年6月には科学技術省大臣となり、同年8月にはヘッドギア開発により正大師の階級を得た。
1995年のオウム関連の複数の事件にも関与しており、同年3月20日の地下鉄サリン事件においては総指揮を担当した。
巨聖逝く 悲劇の天才科学者村井秀夫
以上の様に「オウムのマッドサイエンティスト」として活躍した村井だが、突如事件は起きるのだ。
1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で徐裕行にナイフでメッタ刺しにされ、翌日の4月24日に「ユダにやられた」と言い残し、出血多量により死亡、もとい殉教した。
この殺人事件は「村井秀夫刺殺事件」と言う名で、後世に語り継がれることになる。
同事件を「教団による口封じ」とする説があるが[5]、警察の捜査や裁判においては「実行犯と教団に接点無し」と見なされ、同説は否定された。
実行犯自身も「犯行動機は個人的な義憤」[6]「仮に口封じが目的なら、教団内部で"ポア"されていたはずだ」[7]と語っている。
少なくとも教団側は彼のことを「殉教者」として扱い、彼に関する著書(以下の2冊)も出版している。
なお、オウム関連の裁判において、村井は26人の殺人に関与したと認定されており、もし生きていたら死刑は免れず、信仰心さえあればどの道殉教していただろうと言われている。
概要
言わずと知れたカルト宗教団体・オウム真理教の幹部の一人。前述した「マッドサイエンティスト」としての活躍に加えて、後述の通り麻原彰晃旧尊師に対して極めて高い忠誠心を持っていたことから、「麻原の右腕」「教団のナンバー2」と見なされることが多い。
麻原に対する忠誠心が極めて高く、オウム入信時の自身を「水を得た魚」と称し、坂本弁護士事件後に麻原から「指紋を消せ」と命令された際は、「グルのため!真理のため!」と叫んで一気に熱した鉄板に指を押し付けた。麻原側もその忠誠心や科学技術を見込んでなのか、まったく医療資格を持たない村井に自身の主治医もさせていた。
その一方、麻原の三女・松本麗華は、ジャーナリストの田原総一朗に対して「麻原は“村井を信じる奴はバカだ”と言ったこともあった」と証言したとされる他、他の幹部からも
と評される等、人格面で馬鹿にされている節があり、このことが彼の殉教時に「口封じ説」が唱えられる一因にもなった模様。
また、「オウムの幹部は高学歴のエリートが多く、もしオウムに入信さえしなかったら、犯罪などに手を染めずに社会に貢献できていただろう」と評されることが多い。
村井に関しても、優等生として高校時代を過ごし、難関大学の理系の大学院を卒業した後、オウムで殺人を含む多数の犯罪に「科学者」として加担していたことを考えると、まさにその評価に該当すると言える。
恒心教との関係
自称オウム派生団体・恒心教の誕生
村井の死から約12年後の2012年3月7日、2chなんJ板でクソコテとして名を馳せていた、八神太一こと長谷川亮太がなんJ民に特定される炎上騒動が起き、長谷川は火消しと反撃訴訟のためにネットに強い弁護士・唐澤貴洋に弁護を依頼、唐澤は書き込み主のIPの開示請求を始めた。
当初なんJ民は弁護士の登場を恐れていたが、次第にIP開示自体にはそれほどの意味がないこと、そして何より唐澤自身がツッコミどころ満載な弁護士であったことが発覚したことで炎上は更に悪化、唐澤貴洋も長谷川亮太と共に誹謗中傷され、唐澤も依頼人の長谷川を放置して自身に関する書き込みに対して「無差別開示」で挑んだ。
そして、それと同時期にNHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教が放送され[8]、そのクオリティの高さが話題となり、なんJではオウムブームが起きる[9]。そのブームは唐澤の無差別開示まで波及し、唐澤貴洋には「尊師」と言う渾名が付けられ、彼を教祖とし、オウムの後継を自称する冗談宗教・恒心教も成り行きで誕生した。
麻原彰晃掲示板の誕生によるオウムブームの再来
恒心教の成立により、「唐澤貴洋掲示板」(以下、カラケー)と言う、唐澤貴洋を始めとする恒心教の話題に特化した掲示板郡が誕生し、村井の死から約20年経過した2015年には麻原彰晃掲示板がメインカラケー(恒心教の本拠地)となり、オウムブームも再来した。
この頃になると、非常に大きな功績を残した福嶋誠也やAltailなどの恒心教徒に対して「正大師」の敬称を用いる文化が生まれ、村井を始めとする本家オウムの正大師達もしばしば注目を集めるようになる。
巨聖逝く 悲劇の天才科学者福山紘基
そして村井の死から約25年後、更に事件は起きるのだ。
2020年1月、YouTuberのゆゆうたと吹奏楽団体の関東サウンドプロジェクトによる大規模な恒心営業を発端とするゆゆうた・サウプロ騒動が勃発、ゆゆうた達の前代未聞な臭芋行為に激怒した過激派恒心教徒・悪芋達は、ゆゆうた本人や彼のファン・コラボ相手、そしてサウプロ団員達の個人情報を特定し、彼らの名義で爆破予告を行うなど、苛烈な攻撃を行っていた。
そんな中、2020年11月4日[10]に1つの報道が流れる。それは、大阪大学大学院生の悪芋・福山紘基の逮捕であった。彼は生IPでゆゆうたにチャンネル削除を強要したとして10月5日時点で逮捕されており、その後の調査でTorでの爆破予告が発覚したとされている。
悪芋の殉教を目にした多くの教徒の身が震えたのは言うまでもないが[11]、福山個人には別の点にも注目が集まっていた。
それこそ、村井秀夫との多数の共通点である。
具体的には
が上げられる。
更に生没年が重なっていないことから[12]
- 転生体説 - 村井が正大師まで登りつめたにも関わらずバルドー[13]を乗り越え解脱する事が出来ず[14]、生まれ変わった結果の転生体が福山紘基と言う説
- 超越神力[15]説 - 志半ばで凶刃に斃れた村井が、死後自らの遺志を継ぐために超越神力で福山紘基を生み出したと言う説[16]
が唱えられている。
また、福山は難関大学を現役合格し、文部科学大臣賞を受賞するほどの有能であったことから、村井同様に「カルト宗教に傾倒さえしなければ、犯罪者にならずに社会に貢献していただろう」と彼を惜しむ声が上がり、彼の殉教後にメインカラケーとなったマヨルカ島掲示板の雑談スレのタイトルには、村井を意識した文体で彼への追悼メッセージが入れられた[17]
ちなみに、福山に対する恒心教徒間の敬称は、綜合的評価から「功績は大きいがそれに対する異論もあり、正大師には及ばない」と見なされ、正悟師が定着している。
関連項目
註釈
- ↑ 青年時代の渾名。城みちる(余談:本名は城谷晃太郎)に似ていたため
- ↑ 麻原の三女・松本麗華(アーチャリー)からの呼び名。村井はアーチャリーの良き遊び相手だったと言う
- ↑ 厳密には「それらを基に書かれたとされるMuyopediaの記事」
- ↑ 尤も風評など以前から地の底であったが。
- ↑ オウム語録「ポアもやむなし」は、その説が報道された時(魚拓)に生まれている。
- ↑ オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」 - AERAdot.
- ↑ オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」 - AERAdot.
- ↑ ちなみに、このドラマで村井秀夫を演じたのは米村亮太朗であった
- ↑ オウム真理教は古来からネットの不謹慎ネタとしてアングラな人気を持っていた。詳細は唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教とネット文化を参照
- ↑ 何の因果か、この日は前述した坂本弁護士事件の実行日である
- ↑ 同時期に活動していた悪芋の面白い愛の戦士も精神的に動揺していたと言われている
- ↑ 村井の死が1995年4月24日、福山の誕生が1997年11月14日のことであった。
- ↑ バルド(བར་དོ་ bar do /pʰaː˩˧.to˥/)とも。仏教における中有(अन्तराभव antarābhava)のチベット語訳で、前世の死の瞬間(死有)から次の世に生を受ける刹那(生有)までの時期における幽体とでもいうべき存在。
- ↑ オウムソング『さまよえるバルド』に、『バルドー越えて 歓喜の世界へ』との一節がある。歌詞(魚拓)、音源
- ↑ オウムで説かれている超常的な力。麻原旧尊師
と唐澤現尊師のみが使えるとされることが多いが、旧尊師は「人は誰でも持っている」としており、後者の場合ならオウムで正大師まで登り詰めた村井が使えたとしてもおかしくないことになる - ↑ 「転生体説」の場合、「正大師として"解脱"した村井が"輪廻転生"する」という矛盾が指摘されるため、その反論としてこの説が提唱された
- ↑ マヨケー 雑談2【巨聖逝く-悲劇の天才科学者福山紘基】(魚拓)。