「齋藤香村」の版間の差分
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2015年6月29日 (月) 19:46時点における版
基本資料 | |
本名 | 齋藤香村 |
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生年月日・年齢 | 141~142歳、1882年生まれ |
関係者 | |
齋藤香村(さいとうこうそん 1882~1954 本名:芳之助 よしのすけ)とはうしじまいい肉の曽祖父である。能研究家であり、俳人。
経歴
- 明治15年山形県鶴岡市に誕生
- 明治34年19歳で俳句結社「ホトトギス」の高浜虚子に師事する
- 明治35年に上京し、新聞社に入社して能楽記事、能楽評論、歌舞伎など演芸記事を担当
- 明治42年「能楽画報」を創刊し、能や謡の研究だけでなく素人向けに謡い方舞い方などの記事を掲載。「能楽画報」は昭和16年に終刊
- 昭和16年、新作能「二宮」を発表、小田原市の報徳二宮神社で上演
- 昭和20年、二度の戦災に遭い東京から、神奈川県中郡二宮町上町に転居
- 昭和25年、新宿区若宮町に転居
- 昭和27年、新作能「龍の口」を発表、東京水道橋能楽堂で上演
- 昭和28年、小田原市万年町に転居
- 昭和29年、腎臓病により永眠(享年72)鎌倉市妙本寺に納骨
親交
- 高浜虚子や、新聞社時代の交友関係から、自宅を拠点として句会「春夏秋冬」を主宰し、作家山川方夫の曽父、玄治郎と家が近所であったことから、電話を取り次ぐ程度の交流がある。
- 市川三升(十代目市川団十郎)も句会に参加し、三升が病気の際には、齋藤家からお見舞いをだしている。
- 高浜虚子は香村の訃報を聞き、雑誌「ホトトギス」に寄せた「虚子消息」の中で「明治三十五六年頃からの知己でありまして、古く吾等仲間の句に遊んで居りましたが、中頃能楽の方の仕事に携わり、晩年また熱心に句作をして居りました」と哀悼の意を表している。
- 永井荷風の日記「断腸亭日乗」で「八月廿三日。晴。秋暑熾なり。能楽之友?編輯者齋藤芳之助?氏書を寄す。直に返書を裁す。」「八月廿五日。晴。残暑堪難し。午後能楽編輯者齋藤?氏来訪。銀座食堂に飰す。」とある。
参考資料
- 「齋藤香村句集」(齋藤香村/角川書店/2004/NYサイ)
- 「芭蕉・蕪村・虚子」(齋藤香村/藝文社/1947)
- 雑誌「春夏秋冬」第2巻第3号(藝文社/1947)
- 「小田原謡曲界明治百年記念懐古録」(清水専吉郎/孔芸社/1970)
- 「虚子消息」(高濱虚子/東京美術/1973)
著書
- 「能面大鑑序巻」
- 「解剖的謡ひ様」
- 「能楽諸流 座右宝鑑」
- 「観世流の正道」
- 「謡曲文庫(非売品)」
- 「光悦謡本」
- 「大阪市の歌 : 繪入註解」
- 「能楽精華」1911年
- 「清廉遺風」1911年
- 「謡ひ様二百十番 各流諸名家口述」1915年
- 「能装束模様傑作集 第1-6輯」1916年
- 「謡曲声の出し方と仮名扱ひ」1918年
- 「宝生流謡曲音訓清濁正解」1918年
- 「能衣束模様百佳選 第1-10巻」1920年
- 「能面大鑑 序・上・中・下巻」1920年
- 「謡曲全書」1924年
- 「観世叢書」1929年
- 「謡曲入門概話」1934年
- 「謡曲と古今集」1934年
- 「狂言と社会」1934年
- 「能面研究」1934年
- 「池内信嘉翁追想記」1935年
- 「細川幽齋と能樂」1936年
- 「瀧留帖」1936年
- 「左近遺風 : 大正篇」1939年
関連ページ