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2021年5月10日 (月) 21:33時点における最新版
本文
「ソーセージと法律は作る過程を見ない方がいい」
ドイツの諺である。どちらも醜悪なる臥薪嘗胆の過程を経て美しい物へと変化する。
長く醜い歴史を経験した先人あってこそ今のドイツ食がある。
そして場を変えそこは虎ノ門。オフィス街の中心には彼らの恒心を伝承するソーセージがある。
そしてそのソーセージ、醜くも美しいドラマ、ここに記す。
工場に現れたのは小太りの中年男性。凡庸な彼、しかし左襟の向日葵が彼を非凡と認識させる。
だがここは工場、スーツ姿のこの弁護士はたとえ虎ノ門であろうとも背景に溶け込まない。
すぐさま彼は高価なスーツを脱ぎ捨て台の上に乗った。どうやら彼がソーセージの母となるようだ。
周りの器具で彼の四肢を固定して、準備は完了である。
職員が彼の肛門に手を入れ、刺激する。同時に肛門にマッサージを施す。
そして便意が彼を襲い、すかさず快楽に抗うことなく糞を排出する。
ここまでで10分。有能なる職員あってこその腕さばきである。
糞をすくい、丁寧に攪拌する。並行して他の職員が彼の頸動脈をナイフでメッタ刺しにする。
息の根も止まらぬうちに彼の腹を開示する。そして中から腸を取り出す。
素早く腸を洗浄した後、中に攪拌した糞を挿入して両端を閉じる。
最後に彼のレーゾンデートルたる黄金の向日葵を留めて、ソーセージの完成である。
こうして作られたソーセージは虎ノ門の食卓に並ぶ。
しかしこのソーセージ、どうやら素材の経験した苦難の数だけ芳醇な旨味を作り出すという。
彼も長く辛い過去を経て、美しい今を得たのだろう。
「ソーセージと法律は作る過程を見ない方がいい」
とは言うものの、醜い過程を経てこそ改めてそれを愛せるのではないのか。
諸君もソーセージを口にする前に、素材の苦難を知り、労ってみてはいかがか。
リンク
- 初出 - デリュケー Sausage Essay(魚拓)