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2022年2月18日 (金) 23:13時点における版
基本資料 | |
本名 | 村井秀夫 |
---|---|
別名・渾名 | マンジュシュリー・ミトラ、福山紘基の前世 |
生年月日・年齢 | 没年36歳、1958年12月5日生まれ |
命日 | 1995年4月24日 |
出生地 | 大阪府(wp)吹田市 |
身体情報 | 故人 |
才能 | 審議中 |
特定経緯 | オウム関連の報道・書籍[1] |
騒動との関連 | 風評被害[2]、オウム真理教の幹部 |
職業 | 正大師、科学技術省大臣 |
所属 | オウム真理教科学技術省 |
出身高校 | 大阪府立千里高等学校 |
最終学歴 | 大阪大学大学院理学研究科 |
趣味 | 天文学、科学研究、兵器開発、尊師崇拝 |
好きなもの | オウム真理教、麻原彰晃、かもめのジョナサン、SF、超能力、精神世界、仙道、ヨガ |
嫌いなもの | ユダ |
関係者 | |
村井秀夫(むらい ひでお、Murai Hideo)(1958年12月5日~1995年4月24日)とは、オウム真理教の幹部である。
ホーリーネームは「マンジュシュリー・ミトラ」。教団での階級は正大師であり、省庁制においては科学技術省大臣を担当。
最期は"ユダ"にナイフでメッタ刺しにされ死亡、もとい殉教した。(村井秀夫刺殺事件)
経歴
1958年12月5日、大阪府吹田市に生まれる。
子供の頃は天体観測などを趣味としていたSF少年であった。テレビの影響で超能力や精神世界などにも興味があり、超人願望があったという。
高校ではただ1人無遅刻無欠席の優等生であり、大阪大学理学部物理学科に首席合格。同大学の大学院理学研究科修士課程を修了し、理学修士となった。
1987年に麻原彰晃の著書を読んだことをきっかけにオウム神仙の会(オウム真理教の前身団体)に入信、出家後はオウムの科学者の代表格として活躍した。
1989年11月4日の坂本弁護士一家殺害事件では坂本弁護士の妻を殺害、1990年以降のオウムのヴァジラヤーナ路線ではサリン製造を初めとする兵器開発を行う等、オウム関連の犯罪に深く関わっている。
1994年6月には科学技術省大臣となり、同年8月にはヘッドギア開発により正大師の階級を得た。
1995年のオウム関連の複数の事件にも関与しており、同年3月20日の地下鉄サリン事件においては総指揮を担当した。
巨聖逝く 悲劇の天才科学者村井秀夫
以上の様に「オウムのマッドサイエンティスト」として活躍した村井だが、突如事件は起こるのだ。
1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で徐裕行にナイフでメッタ刺しにされ、翌日の4月24日に出血多量により死亡、もとい殉教した。(村井秀夫刺殺事件)
村井は死ぬ前に「ユダにやられた」と言い残したと言う。
この殺人事件は「教団による口封じ」とする説があるが[3]、警察の捜査や裁判においては「実行犯と教団に接点無し」と見なされ、同説は否定されている。
少なくとも教団側は彼のことを「殉教者」と扱った上で葬儀を行い、彼に関する著書[4]も出版している。
なお、オウム関連の裁判において、村井は26人の殺人に関与したと認定されており、仮に生きていたら死刑は免れなかったと言われている。
概要
言わずと知れたカルト宗教団体・オウム真理教の幹部の一人。前述した「マッドサイエンティスト」としての活躍に加えて、後述の通り麻原彰晃旧尊師に対して極めて高い忠誠心を持っていたことから、「麻原の右腕」「教団のナンバー2」と見なされることが多い。
麻原に対する忠誠心が極めて高く、坂本弁護士事件後に麻原から「指紋を消せ」と命令された際は、「グルのため!真理のため!」と叫んで一気に熱した鉄板に指を押し付けた。麻原側もその忠誠心や科学技術を見込んでなのか、まったく医療資格を持たない村井に自身の主治医もさせていた。
その一方、麻原の三女・松本麗華は、ジャーナリストの田原総一朗に対して「麻原は“村井を信じる奴はバカだ”と言ったこともあった」と証言したとされる他、他の幹部からも
と評される等、人格面で馬鹿にされている節もあった模様。
また、「オウムの幹部は高学歴のエリートが多く、もしオウムに入信さえしなかったら、犯罪などに手を染めずに社会に貢献できていただろう」と評されることが多い。
村井に関しても、優等生として高校時代を過ごし、難関大学の理系の大学院を卒業した後、オウムで殺人を含む多数の犯罪に「科学者」として加担していたことを考えると、まさにその評価に該当すると言える。
註釈
- ↑ 厳密には「それらを基に書かれたとされるMuyopediaの記事」
- ↑ 尤も風評など以前から地の底であったが。
- ↑ オウム語録「ポアもやむなし」は、その説が報道された時(魚拓)に生まれている。
- ↑ 「巨聖逝く 悲劇の天才科学者村井秀夫」と「巨聖逝く マンジュシュリー・ミトラ正大師物語」