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当時を知るものの作品に対する感想などを見る限り、同人誌のクオリティは高くそこそこ名は知れたサークルであったようだが代表のN初め癖のあるメンバーが集まっていたためか'''サークルとして大成はせず'''、歴史の闇に埋もれていた。 | |||
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しかし、[[第18回MMD杯]]の本選前に[[第17回MMD杯]]のサポート運営に潜入していた教徒が内部資料をカラケーにばらまき、第18回ではサポート運営に教徒が大量潜入したことをキッカケにマトモな動画制作の技術を持っていた[[三河屋工房]]、[[Jupiter]] | しかし、[[第18回MMD杯]]の本選前に[[第17回MMD杯]]のサポート運営に潜入していた教徒が内部資料をカラケーにばらまき、第18回ではサポート運営に教徒が大量潜入したことをキッカケにマトモな動画制作の技術を持っていた[[三河屋工房]]、[[Jupiter]]が特定され、最終的にゴロゴロウは'''サポート運営を爆破'''し、教徒との対立が決定的な物となる。これと同時にゴロゴロウ本人に対する事実追求も一段と激しい物になっていった。スタジオSFCの存在自体は[[第16回MMD杯]]の前に明らかになっていたものの、この時点では他に追求すべき項目が多かったこともありほぼスルーされていた。 | ||
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=== A子特定 === | === A子特定 === |
2024年10月13日 (日) 21:08時点における最新版
基本資料 | |
名称 | スタジオSFC |
---|---|
代表者 | N(中田) |
設立年 | 1981年 |
騒動との関連 | ゴロゴロウの元所属サークル |
関係者 | |
|
スタジオSFCとは、かつて存在した同人サークルである。主に漫画作品を配布していた。
スタジオSFCについて
80年代前半から90年代初頭にかけて活動していた同人サークルである。一般社会にネットが登場する前に活動を終えたため資料が非常に少なく、所属していたメンバーについても確定はできていない。 当時を知るものの作品に対する感想などを見る限り、同人誌のクオリティは高くそこそこ名は知れたサークルであったようだが代表のN初め癖のあるメンバーが集まっていたためかサークルとして大成はせず、歴史の闇に埋もれていた。
また、「SFC」なる名称を利用しているが、
- 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(唐澤貴洋の出身校)
- 全日本空輸スーパーフライヤーズカード
- 任天堂スーパーファミコン
など「SFC」を略称として用いている他の団体や商品名とは一切関係ない。
ゴロゴロウと恒心の接触
上記の通り、本来は恒心と無関係な団体であり、接点を持つのは活動を停止してから20年以上経った後となる。 大抵のメンバーは創作をやめるか、趣味レベルのひっそりとした活動を続けていたがサークル元メンバーのゴロゴロウだけは別で、彼は2010年の第5回MMD杯に参加し、2015年の第14回MMD杯時点でMMD杯における最高権力者の地位を築いていた。この第14回MMD杯で恒心教徒が尊師MMDで参戦し、ここでゴロゴロウとの明確な接点が生まれる。
ゴロゴロウとの対立激化
ゴロゴロウは当初「工作なんぞ、再生数・マイリス数稼ぎの上客っしょう、丁重におもてなししとけば良いんじゃないですかねぇ?」と尊師MMDおよび工作を容認する(適当にあしらう)姿勢を取っていたが、その一方で第16回MMD杯の運営参加を希望していたけんまPに対してSkype会議室で暴言を吐いていたり、淫夢、尊師等例のアレ系が除外されたAngel-CUPのクローンサイト「Tea-CUP」をその他のメンバー共々支援したりと嫌悪感を示していた。ただし、この時点で作品制作や投稿自体に支障はないとして他のメンバーと並行した緩やかな事実追求に留まっていた。
しかし、第18回MMD杯の本選前に第17回MMD杯のサポート運営に潜入していた教徒が内部資料をカラケーにばらまき、第18回ではサポート運営に教徒が大量潜入したことをキッカケにマトモな動画制作の技術を持っていた三河屋工房、Jupiterが特定され、最終的にゴロゴロウはサポート運営を爆破し、教徒との対立が決定的な物となる。これと同時にゴロゴロウ本人に対する事実追求も一段と激しい物になっていった。スタジオSFCの存在自体は第16回MMD杯の前に明らかになっていたものの、この時点では他に追求すべき項目が多かったこともありほぼスルーされていた。
ゴロゴロウに対する事実追求の本格化
事実追求の結果、自分語りから山口県に在住してることが濃厚になったものの、決定的な情報は掴めずにいた。そんな中杯本選が終了したこともあり、一度自分語りなど王道ルートでの特定は小休止となり、マッシュPや御神楽稲荷など特定されていない杯運営関係者の人物の事実追求、それまで放置されていたゴロゴロウの過去の活動について追求を行う流れとなる。
そんな中、ゴロゴロウが過去に所属したサークルの一つ、「スタジオSFC」の現存している同人誌を購入した者が現れる[1]。同人誌自体にメンバー名以外のめぼしい情報は無かったものの、この件でスタジオSFCにスポットが当たり、本格的な事実追求が始まることとなった。
スタジオSFCへの事実追求
スタジオSFCは先に述べたように活動時期が90年代前半までと古く、現在のゴロゴロウに繋がらないと考えられていたためほとんど放置されていた。話題もメンバー内の実力者であった細馬信一と現在もゴロゴロウと親交があると見られる乃美康治に関する情報が中心であった。
しかし事実追求が進められた結果、元メンバーの「クレイジーピエロ」のブログから同じく元メンバーで嫁と金を奪い取られ鬱になった恨みからスタジオSFC元代表の「N」暴露漫画を自身のHPにて公開している[2]「橋川TAN」の存在が判明する。この暴露漫画は後にNの特定に重要な役目を果たすこととなる。
Nのブログ発掘
2017年4月、それまで存在自体は仄めかされていたものの捜索が難航していたNのブログがクレイジーピエロのブログより発掘される[3]。その中身たるや、ブログへのリンクを掲載したクレイジーピエロが「もう読めないですよ、色々辛くて、痛くて。」とコメントする程で、安達真や寺井恵、高橋嘉之など今まで恒心に関わった甘芋を上回る糖度であった。これ以降、教徒の興味は「N」の他、スタジオSFC元メンバーへの言及を多く残しており、事実追求が大きく前進するきっかけとなった「クレイジーピエロ」、暴露漫画などからパズピーを撒き、ゴロゴロウと親交があった「橋川TAN」の三人に向かうこととなる。
Nの特定活動の本格化
「N」が甘芋と化していることは既に他のメンバーによって仄めかされており、糖質ラジコンとして利用することが計画されていた。そのため、本格的な特定活動は行われない予定であった。しかし、ゴロゴロウの特定が滞っていたこと、Nの糖度が教徒の想像を上回っていたことなどから一旦Nのラジコン化を後回しとし、Nを特定した上で周囲の評価からまともな人物であると考えられるNの息子を特定しクレイジーピエロやTANなどから情報を引き出す路線を取ることとなる。
A子特定
Nのブログは正確にはN自身のブログではなく、元SFCメンバーで妻のA子(2010年にガンで逝去)のブログをA子の死後乗っ取ったものである。そのため、ブログにはA子に関するパズピーが豊富に残されていた。その中から、ブログのコメント欄にA子を「美恵」と言う名前で呼ぶ者がおり[4]、その名前から検索したところ広島のジュニアけん玉大会に「中田美恵杯」という大会が存在する事が判明[5]。さらに「中田美恵」という名前から「歯科衛生士の中田美恵」という人物が紹介されているページが発掘される[6]。この中田美恵の紹介文はブログのプロフィールに記載されている「広島在住」「けん玉の趣味」と一致し、記載されていた息子の年齢(1998年時点で5歳=1993年生まれ)もブログの内容と一致したことから「中田美恵」が本名である事がほぼ確実となる。これにより、夫であるNの名字が中田であることがほぼ確定する事となった[7]。
N特定
さらにA子が生前に残した自分語りから、息子(通称中田ジュニア)の誕生日に加え、大まかな居住エリア(広島市佐伯区美鈴が丘)が確定した。この時点では番地までは判明しなかったものの、TANの暴露漫画に中田家のものと思わしき家の外観が描かれており、そこから住所でポン!で得られた住所の情報と照らし合わせた結果、「中田哲夫」という人物の住所が前述の暴露漫画に描かれていた物と酷似していた[8]。この後、該当住所の登記簿を取った教徒が現れ[9]、そこからブログの情報を参照した結果、家が相続された年(1997年)とA子が生前に語ったN父の死亡年が一致。これにより、中田哲夫がNの父であることおよびNの実家が確定した。 登記上はN母と見られる人物の所有であったため現住所であるかの確定には至らなかったが、A子存命時点でN母が深刻な認知症であり、実家から介護していたこと、Nが甘芋と化していることなどから実家以外で生活している可能性は低いとされている。
サークルメンバーの特定
ゴロゴロウについての情報収集が低調であったことから、現在もゴロゴロウとの親交があるまたは最近まで親交があったと思われる元サークルメンバーの特定が進められた。メンバーの多くが既に老人でありネット上での情報発信を行っていない者も多かった。結果的に、大まかな情報が特定できたのは当初より目をつけられていたTANなど数名に留まった。
クレイジーピエロ特定
その他のメンバーと並行してクレイジーピエロについても特定が進められていたが、メインターゲットではないためあくまで片手間で進められていた。 それでも自分語りが多かったことから進捗自体は良く、自分語りから実家の配管工事会社が判明。さらに親族が大麻で逮捕されたという自分語りからラッパーのS.I.D a.k.a 志努(小川貴司)の存在が判明し、ここから先の配管工事会社が実家である事、名字が小川である事が確定した。
TAN特定
TANについても特定が進められていたが、Nにアンチ的な立場を示し、ゴロゴロウとも交友を保っていると見られていたTANは直接質問による情報の引き出しが優先され、特定が後回しになっていた。 しかし、質問によって一応の回答こそ引き出せたものの「面白い情報はない」というものであり、現状ではこれ以上の情報が引き出せないと判断されると特定作業が進められ、オンライン古書店のスタジオSFC作品の紹介文[10]より疑惑本名、「橋川浩史」が浮上。その後発掘された「マツダ本社前から近い」という自分語り[11]から住所が広島県広島県広島市南区に絞り込まれ、自身のサイトに掲載していたバイクの画像に写っていた風景との一致から住所が確定した[12]。
事実追求の停止
怒濤の情報が発掘されたスタジオSFCへの事実追求であったが、一方で本丸であるゴロゴロウの情報に目ぼしいものが無く、教徒のモチベーションは低下していった。さらに一連の事実追求が行われた2017年3月〜6月はカラケーの運用が安定していなかった時期であり、これも教徒のモチベーションを削ぐ要因となった。
さらに、6月にはゴロゴロウの疑惑本名が浮上したことにより、そちらの調査、追求が優先となりスタジオSFCへの事実追求は自然と停止することとなった。その後MMD杯は衰退の一途を辿り、2018年7月に第21回MMD杯の中止告知と共にゴロゴロウがネットから姿を消したことにより大義名分が無くなり、さまざまな謎を残したままスタジオSFCへの事実追求は幕を閉じることとなった。
メンバーと関係者
スタジオSFCは多数の漫画家が所属していたと考えられるが、その全ては明らかになっていない。ここでは、チャンケーゴロゴロウスレのゴロゴロウ綜合>>4>>5>>6(魚拓)を参考にゴロゴロウなど教徒から注目を集めたメンバーおよびその関係者を紹介する。
N
本名:中田 疑惑本名:中田哲也。元スタジオSFCのトップでA子の元旦那 推定60代前半。 1970年代後半頃にゴロゴロウらと出会いスタジオSFCを設立した。 人格面は極めて問題があり、自己中心的かつ傲慢、スタッフをこき使い顰蹙を買っていた他、後述の橋川TANにA子の悪口(事実無根)を吹き込みA子を寝取る ハメ撮りまでやるなどやりたい放題でまさにハセカラファミリーにふさわしい人物である。 しかし実力はあったようで、週刊誌で短期間ながら連載を持っていたようである。このことから週刊チャンピオンで短期連載を行っていた谷川てつやと同一人物疑惑がある。 スタジオSFC解散後もTANやA子へ精神的経済的に寄生していたが A子の死去に伴い精神が破綻し無事甘芋となった。現在は前述のA子のブログを乗っ取りほぼ毎日支離滅裂な甘芋長文を投稿しており、文面の糖度は恒心史上でも頂点を争うレベルである。
ゴロゴロウ
詳細はゴロゴロウの記事を参照。前述したようにスタジオSFCに対する事実追求は彼に対するヘイトに端を発しており、まさしく全ての元凶と言える人物である。
スタジオSFCではストーリーを担当していたと思われ、実際いくつかの作品に彼が関わったと見られているもののあまり存在感がない。後述の橋川TANは代表のNから距離を置いていたと証言していたが、同時に橋川のサイトではNo.2と紹介されているなど、いまだに当時のサークル内での立ち位置ははっきりしていない部分がある。
会社の倒産等挫折を経験したゴロゴロウとNの間で方向性の違いが発生し以降疎遠に。
今回の開示により例のガン患者家族を揶揄した発言が中田夫妻を指したものであると判明。更に教徒の怒りを買うこととなった。
橋川TAN
別名:たんつぼ小僧など。現在は「八志河 蘭」というペンネームを用いている。推定50代で独身。疑惑本名:橋川浩史。 元スタジオSFCの作画担当の一人でかつてはNの才能にほれ込んでおり、Nの傲慢さから次々人が離れていく中橋川は最後までNと組んでスタジオSFCで活動していた。しかし、Nに彼女を寝取られた上借金を踏み倒され鬱になった結果Nのアンチとなり、スタジオSFCの内情とNの半生を中心とした暴露漫画を自サイトにて公開していた。 ホームページからも分かるようにネット草創期の感性でサイトを運営しており、それゆえにリテラシーもガバガバで、サイトに掲載していた漫画やコンテンツには多数のパズピーがちりばめられていた。これがスタジオSFCの事実追求に大きな貢献をもたらすと共に、橋川自身が特定される原因となった。 スタジオSFCが解散してからもゴロゴロウとは交流があり、アニメ作品を公開し合うなどしていた。実際にTANのサイトとゴロゴロウのテキストサイト「パセリ」とは姉妹サイトの関係にある。
A子
別名:中島A子・本名:中田美恵。元スタジオSFCの秘書担当でNの嫁であり、橋川の元カノ。ハセカラ騒動発生時点ですでに故人。職業は歯科衛生士 橋川の漫画原作なども手掛けていた模様。 吾妻ひでおファンクラブ(しっぽがない)の会員であり、この縁でスタジオSFCに参加したのではないかと推測されている。 橋川とはいいとこまで行くが結局Nに寝取られ1992年頃Nと結婚し、一人息子を設ける。株にのめりこみ働かないNに代わり歯科衛生士の仕事で家計を支え息子を育てていた。 広島市の子供にけん玉を教える等ボランティア活動を精力的に行っており 善良な性格もあり慕う人も多かった。 2004年にブログを開設 息子の成長やボランティア活動などについて更新していた。2008年11月 乳がんが見つかる ブログには闘病の様子が書かれていたが2010年6月5日、治療の甲斐なく死去する。享年47歳。 ネット社会と縁の浅い主婦であったため、ブログには大量のパズピーが残されており、これがA子や夫であるN特定の大きな情報源となった。しかし、スタジオSFCの関係者からは悪い話をほぼ聞かず、趣味であったけん玉においては生前の功績が認められ 広島のジュニアけん玉大会には本名を冠したタイトルが設けられるほどの人望を持つ非常に善良な人物だったようである。
クレイジーピエロ
本名:小川。元スタジオSFCメンバー。推定50代独身。 スタジオSFC内の役割は不明だがTANの漫画を手伝っていたことは伺える。よく言えば面倒見の良い明るく豪快なムードメーカー、悪く言えばガサツで無神経で痛々しい男。その無神経さが橋川の怒りを買っていたようであり、暴露漫画にも頻繁に登場していた。なお、小川自身は事実と異なるとして度々憤慨していた。 スタジオSFC解散後はゴロゴロウのテキストサイト「パセリ」にバーターとしてコラムを頻繁に投稿する。 どこまで本気かは不明だが橋川とは絶縁を表明している。 弟はラッパーの志努 aka S.I.D(本名:小川貴司)2012年大麻所持栽培容疑で逮捕。 2017年当時ブログ・Twitterで積極的に活動しており、案の定とも言えるネットリテラシーの緩さからNが乗っ取ったA子のブログが特定されたほか、自身の実家および苗字が特定された。
中田ジュニア
NとA子の息子。1993年5月4日生まれ。2020年現在27歳で長谷川亮太と同い年である。 性格はA子に似て善良なようで、小川と交流がある。2013年就職先が決定し小川から寿司を奢られる。 高校生の頃は美術部所属。2008年11月6日の中国新聞に写生大会の銅賞を取った事が載る。 Nに関しては半ば諦めておりなるべく刺激しないようにしてる様子が小川のブログから伺える。 Nラジコン化計画のキーマンとみられ、特定活動が進められたが父ながら甘芋であるNや親しいとはいえネットで繋がるような間柄ではない小川のブログからではSNSアカウントの特定は困難であり、周囲の評判からネット上に残る問題行為を起こしたとも考えられず、特定する事が出来ないままスタジオSFCの事実追求は停止した。
乃美康治
元スタジオSFCメンバーでゴロゴロウの同人活動を追う中で頻繁に名前が登場した人物の一人。 スタジオSFCでは作画を担当しており、自身もプロの漫画家として活動している。代表作は「押忍!ガンバ」「大浮遊船時代ゲン太の冒険」など。現在は「さてさて」名義でPixiv、Twitterをメインに活動している。 自身が所属するサークル、「スタジオとりあたま」の主軸メンバーであり、ゴロゴロウも所属していたことから情報収集が進められたがゴロゴロウの重要な情報を引き出す事は出来なかった。
出典・註釈
- ↑ ゴロゴロウ綜合★2 >>106(魚拓) - クヒケー
- ↑ 真性中二病老人観察記録(魚拓)
- ↑ 過去を葬り今を流れる者:愛のつるし一回転飛行機(魚拓)
- ↑ 入院中 - 愛のつるし一回転飛行機(魚拓)
- ↑ ちなみに、この大会はA子の死後しばらく開催されていたようである。
- ↑ けん玉の音は、平和の響き!(魚拓)
- ↑ 苗字が「中田」であることは乃美康治が出していた同人誌、「中田SANマガジン」などもこれを裏付けしているゴロゴロウ綜合★2 >>345(魚拓) - クヒケー
- ↑ ゴロゴロウ綜合★2 >>411(魚拓) - クヒケー
- ↑ ゴロゴロウ綜合 >>41(魚拓) - チャンケー
- ↑ 『COMICメディア』2冊 スタジオSFC - 澱夜書房(魚拓)
- ↑ 放置BBS(魚拓)
- ↑ ゴロゴロウ綜合 >>378(魚拓) - エビケー