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背が低く、なで肩、中年太りの入った岡崎の体格は、まさに円形を基調にして見えた。法廷に入ってくる時も、証言台の前で座って証言に臨む時も、背中を丸めて前屈みにしている印象が強い。それでいて、丸顔に髪を真直ぐに垂らした下から、上を覗き込むように正面を見据える切れ長の目の視線は、相手の様子から内面までを探って言葉を選んでいるように見えた。下手に出ながら、相手に取り入って、それでいて相手の心を掴んで、優位に話を進めようという、どこかで見覚えのあるセールスマンのような態度と話し方だった。事実、本人も職を転々としながら、営業の仕事を数多くこなしてきたことを告白していた。 | 背が低く、なで肩、中年太りの入った岡崎の体格は、まさに円形を基調にして見えた。法廷に入ってくる時も、証言台の前で座って証言に臨む時も、背中を丸めて前屈みにしている印象が強い。それでいて、丸顔に髪を真直ぐに垂らした下から、上を覗き込むように正面を見据える切れ長の目の視線は、相手の様子から内面までを探って言葉を選んでいるように見えた。下手に出ながら、相手に取り入って、それでいて相手の心を掴んで、優位に話を進めようという、どこかで見覚えのあるセールスマンのような態度と話し方だった。事実、本人も職を転々としながら、営業の仕事を数多くこなしてきたことを告白していた。 | ||
岡崎は、起訴された事実関係を認め、検察が出してきた証拠もほぼ全てについて採用を同意。事件の共犯者の供述調書を検察官に全て読み上げさせると、そこから被告人質問に入るという、弁護側の法廷戦術をとってきた。 | 岡崎は、起訴された事実関係を認め、検察が出してきた証拠もほぼ全てについて採用を同意。事件の共犯者の供述調書を検察官に全て読み上げさせると、そこから被告人質問に入るという、弁護側の法廷戦術をとってきた。 | ||
== 恒心教との関係 == | |||
[[恒心教]]が[[パカ弁]]を中心とした[[弁護士]]というジャンルを取り扱っており、また、恒心教はオウム真理教と不謹慎文化の影響が根強いため、直接的な関係性はないが、親和性は高いと思われる。 | |||
== 唐澤貴洋との関係 == | == 唐澤貴洋との関係 == |
2022年7月24日 (日) 15:07時点における版
基本資料 | |
本名 | 坂本堤 |
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生年月日・年齢 | 33歳、1956年4月8日年生まれ |
命日 | 1989年11月4日 |
性別 | 男性 |
出生地 | 神奈川県(wp)横須賀市 |
墓所 | 神奈川県鎌倉市の円覚寺・松嶺院 |
身体情報 | 故人 |
才能 | 有能 |
特定経緯 | 当時の報道 |
騒動との関連 | オウム真理教 |
職業 | 弁護士 |
所属 | 横浜法律事務所(魚拓)、自由法曹団員、オウム真理教被害対策弁護団[1] |
出身高校 | 神奈川県立横須賀高等学校 |
最終学歴 | 東京大学法学部 |
関係者 | |
坂本堤(さかもとつつみ、1956年4月8日 - 1989年11月4日)は神奈川県横須賀市出身の元弁護士(神奈川県弁護士会所属、登録番号-)。
概要
坂本堤弁護士は東京大学法学部卒業後は法律事務所の事務職員勤務を経て、1984年(28歳)に司法試験に合格し、第39期司法修習生を経て1987年より弁護士となり、横浜法律事務所(魚拓)で弁護士業務に携わった。
事務職員時代は豊田商事破産事件管財人弁護士団を手伝っていたことがあり、妻の都子も宇都宮健児の事務員として管財人弁護士団に参加していたため、管財人弁護士団経由で2人は巡り会ったのである。
1989年はオウム真理教が宗教法人化した年であり、オウム真理教への勧誘が積極的に行われていた。当時より勧誘や出家を巡るトラブルが後を絶たず、週刊誌がバッシング記事を連載し、子共が教団に出家してしまった親達を中心にオウム真理教への風当たりが強まりつつあった。
坂本堤弁護士は江川紹子経由でオウム真理教に出家した信者の親たちの依頼を受け、教団と交渉を開始、また「オウム真理教被害対策弁護団」を設立し、オウム真理教の事実追求や批判を行った。どこかの誰かさんとは違い法的措置をとったり、どこかの誰かさんのようにプロパガンダを垂れ流す目的ではなくオウム真理教の真実を知ってもらうべくマスコミにも登場しては教団の問題点を指摘した[2]結果、教団からの反感を買い、1989年11月4日の午前3時頃教団の幹部らによって|妻の都子と長男の龍彦と共に殺害されてしまった(坂本弁護士一家殺害事件)。麻原彰晃の他に犯行に関与しているとされたのは岡崎一明・村井秀夫・新実智光・早川紀代秀・中川智正・端本悟である。
死因は窒息死であるとされており、犯行に及んだ動機は翌年に控える衆院選への悪影響を恐れたからされている。3人の遺体は別々の場所に埋められたということもあり、捜査は難航した。事件から6年後の1995年に岡崎一明からの自供により3人の死体遺棄場所が判明する[3]。供述に基づき捜索したところ、同年9月6日、新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中から発見された。同じ日には富山県魚津市の林道脇から妻の遺体が、4日後の9月10日には長野県大町市の山中から長男の遺体が発見された。日弁連が声明を出しているので掲載する。
坂本堤弁護士遺体発見に関する声明(魚拓) 本日、坂本堤弁護士一家拉致事件に関して、警視庁と神奈川県警本部の合同捜査本部がオウム真理教の幹部・元幹部の供述に基づき捜索を行い、坂本堤さんの遺体を確認し、元幹部を逮捕したとの発表がなされました。 本日の警察の発表はいまだ確定的なものとは言いがたいものがありますが、私たちの期待を打ち砕き、厳しい結果を予測させるものです。坂本良雄さん、坂本さちよさん、大山友之さん、大山やいさんら親族、救出に向けて全力を捧げられた関係者の心情を思うにつけ、断腸の思いです。 基本的人権の擁護と社会正義の実現のために、業務を行っている弁護士に対し、家族まで巻き込み、その命まで奪うという許しがたい行為には、満腔の怒りを禁じ得ません。 日本弁護士連合会は1989年11月の事件発生以来、この事件は坂本堤弁護士の弁護士としての業務に関連して何者かにより拉致された疑いが極めて強いとの認識のもとに、一家の生存を信じ、捜査の継続強化の要請をはじめとして、救出のため様々な活動を展開し、多数の国民の皆様の理解と支援を得てまいりました。 国民の期待を背景に捜査を継続された捜査員の方々のこれまでの労苦を多としながらも、本事件の全容の解明に向け、捜査機関に対し適正かつ迅速な捜査を尽くすことを要請します。 日本弁護士連合会として、坂本弁護士一家の無事救出のためご協力をいただいた多くの皆さんに感謝するとともに、かかる事件が再発しないよう、今後とも国民の方々と手を携え、一層の努力をする所存です。 1995年(平成7年)9月6日 日本弁護士連合会 会長 土屋公献
自供したことで逮捕された岡崎については週刊文春で掲載されたこの記述が興味深い。
「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由(魚拓) 坂本弁護士一家殺害を自白 そして、1989年11月4日午前3時頃、神奈川県磯子区の坂本堤弁護士の自宅アパートに教団幹部6名で押し入り、就寝中だった坂本弁護士、妻の都子さん(同29歳)、それに1歳2カ月だった龍彦ちゃんを殺害。遺体を運び出すと、それぞれを新潟、富山、長野の山中に埋めて遺棄していた。 「3人殺したら、死刑だな」 犯行後、実行犯を再び集めた麻原は、刑法の条文を読み聞かせながら、そう呟いたという。 それから、およそ6年。95年3月の地下鉄サリン事件の直後に、教団施設への一斉家宅捜索が行われて、教団の凶行の実態が次々と白日のもとに曝されていく。その中で、坂本弁護士一家殺害事件も立件される。岡崎の供述した通りの場所から、3人の家族の遺体が発見されていくのだった。 余裕のある被告人 死刑なのか、それとも生きることが許されるのか。目の前で、裁判長が粛々と読み上げる判決理由を聞いている岡崎の背中は、硬くなって見えた。肩をすぼめるように、円くなってじっとしている。周囲に目をやる余裕などないはずだった。自分に死が訪れるかどうかの瀬戸際を、いまかいまかと待っているのだ。それが、もし、ぼくの立場だったら、と想像してみる。きっと、裁判長の言葉よりも、自分の心臓の鼓動のほうが重く耳に響いていることだろう。 それでも、初公判から見てきた法廷の岡崎には、どこか余裕があった。判決から遡ること、2年半前のことだった。 背が低く、なで肩、中年太りの入った岡崎の体格は、まさに円形を基調にして見えた。法廷に入ってくる時も、証言台の前で座って証言に臨む時も、背中を丸めて前屈みにしている印象が強い。それでいて、丸顔に髪を真直ぐに垂らした下から、上を覗き込むように正面を見据える切れ長の目の視線は、相手の様子から内面までを探って言葉を選んでいるように見えた。下手に出ながら、相手に取り入って、それでいて相手の心を掴んで、優位に話を進めようという、どこかで見覚えのあるセールスマンのような態度と話し方だった。事実、本人も職を転々としながら、営業の仕事を数多くこなしてきたことを告白していた。 岡崎は、起訴された事実関係を認め、検察が出してきた証拠もほぼ全てについて採用を同意。事件の共犯者の供述調書を検察官に全て読み上げさせると、そこから被告人質問に入るという、弁護側の法廷戦術をとってきた。
恒心教との関係
恒心教がパカ弁を中心とした弁護士というジャンルを取り扱っており、また、恒心教はオウム真理教と不謹慎文化の影響が根強いため、直接的な関係性はないが、親和性は高いと思われる。
唐澤貴洋との関係
唐澤貴洋が坂本堤弁護士について言及したことこそないのだが、前述した忌々しい事件は唐澤貴洋の若き頃に起こっているので唐澤貴洋も知らないはずがないのだが、唐澤貴洋は嬉々として大喜利のネタで尊師と発言したり弁護士のアカウントでオウムスラングの改変を発信したりと弁護士倫理が著しく欠如した行為を平然としている始末である。
これにはオウムネタを初めとする不謹慎ネタを嗜む恒心教徒ですらドン引きするばかりであった。
脚注
- ↑ 現在は「オウム真理教被害者の会」と呼ばれている
- ↑ 「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由(魚拓) - 週刊文春
- ↑ 日本震撼、オウム事件全史 写真特集(魚拓)
外部リンク
- 坂本堤 - Wikipedia
- 坂本堤弁護士一家殺害事件 - Wikipedia
関連項目
オウム真理教 | |
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教団関係者 | 青山吉伸 - 麻原彰晃(旧尊師) - 村井秀夫 - その他の幹部・信者 - 横山昭二 |
後継・派生・関連団体 | Aleph - ひかりの輪 - 山田らの集団 - ケロヨンクラブ - 恒心教 - その他 |
敵対・批判勢力 | 宇都宮健児 - 大崎警察署 - 紀藤正樹 - 坂本堤 - 滝本太郎 |
番組・手記 | NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教 - 麻原裁判をふり返って |
用語 | ヴァジラヤーナ - カルマ - 空中浮揚 - サティアン - 師 - 正悟師 - 正大師 - 尊師 - ダーキニー - 超越神力 - プラーナ - ポア - ホーリーネーム - PSI |
恒心教に与えた影響 | 麻原彰晃掲示板(サンラクシャカ) - 面白い愛の戦士 - 唐澤貴洋(現尊師) - 急に書き込みが無くなったなポアされたか - 智津る - なんだお前オウムか - 福山紘基 |
カルト宗教仲間 | 阿含宗 - イスラム国 - エホバの証人 - 幸福の科学 - 創価学会 - 統一教会 - パナウェーブ研究所 |
その他 | イスラム教 - オウマー(ネット文化) - 北朝鮮 - キリスト教 - 仏教 - 例のアレ |
弁護士 | |
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一覧 | 弁護士一覧 - 主なパカ弁一覧 |
騒動の主要人物 | 唐澤貴洋 - 坂本雄三 - 立石邦男 - 小西一郎 - 阿部通子 - 山岡裕明 - 山本祥平 - 原田學植 |
パカ弁 | 金川晋也 - 唐澤貴洋 - 神田知宏 - 小俣由香利 - 近藤信幸 - 塩味達次郎 - 至田明史 - 清水陽平 - 瀧口徹 - 田中一哉 - 玉里友香 - 中澤佑一 - 中島博之 - 福永活也 - 藤吉修崇 - 前園進也 - 山岡裕明 - 山本麻白 |
八雲所属 (過去所属、顧問弁護士含む) |
山岡裕明 - 菊地康太 - 笠置泰平 - 千葉哲也 - 町田力 - 杉本賢太(退所) - 阿部通子 - 田村祥一(退所) - 上野浩理 - 星野悠樹 - 村田和希 - 髙間裕貴 - 長野英樹 - 柏原陽平 - 畔柳泰成 - 小林尚通 - 大友雅則 - 片岡弘(顧問) |
風評被害枠 | 宇治野壮歩 - 唐澤新 - 唐澤貴夫 - 田中一哉(非熱湯) - 唐泽 - 長谷川亮 - 南阪本浩章 |
立花孝志の顧問 | 岡野武志 - 唐澤貴洋 - 佐藤栄治 - 髙橋裕樹 - 竹田真理 - 福永活也 - 村岡徹也 - 山本麻白 |
オウム関係 | 青山吉伸 - 宇都宮健児 - 紀藤正樹 - 坂本堤 - 滝本太郎 - 横山昭二 |
上記以外 | 阿部克臣 - 池田和郎 - 井上拓 - 今村邦雄 - 岡正晶 - 奥村徹 - 小倉秀夫 - 川﨑美奈 - 神原元 - 北周士 - 九州の同期(隈淳平) - 黒田厚志 - 髙野洋明 - 杉山央 - 髙品惠子 - 髙橋峯生 - 壇俊光 - 名古屋聡介 - 樋口收 - 豚野郎 - 森川紀代 - 山口貴士 |
法律事務所 | 坂本総合法律事務所(小西一郎 - 坂本雄三 - 立石邦男) - 恒心綜合法律事務所(阿部通子 - 渡邊恵美) - 法律事務所クロス(山岡裕明 - 山本祥平) - 法律事務所Steadiness(原田學植) - 八雲法律事務所 - ニューポート法律事務所 - 名古屋・山本法律事務所 - 法律事務所アルシエン - 誠法律事務所 - リンク総合法律事務所 |
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